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●庭と京都
「奈良の仏像、京の庭園」という格言がある。奈良を訪ねたならば仏像を見ずにおくものか。 奈良の仏像はそれだけ秀逸で別格だ。京都に旅したならば、名だたる庭を訪ねみよ。 そこで得た知見・体験はあとあとまでも生きてくるぞというような意味だ。 もちろん、奈良か京都のどちらかが負け惜しみで標榜しはじめた格言かもしれないのだが。
いずれにしても京都は、日本庭園と京都庭園とは同意語であるほど、庭づくりの完成度を高めた。 それでは、京都以外の土地に優れた庭園がなかったのかというと事実はその逆で、 古い時代の個性的な庭は、日本各地で見ることができる。 大分県の宇佐八幡宮の庭や岩手県平泉の毛越寺などは日本の庭の原型をいまに残している。
そういうなかで「京都庭園」が独自の発展を遂げたのは、 例のごとく長く続いた都としての京都の得意技を発揮した結果である。 権力でもって情報を集め、財力でもってエッセンスを取り出し洗練させることに長けていたうえ、 多くの宗派の本山を一手に引き受けたような宗教都市は、庭を宗教の精神性と一体化させることに成功したのである。
岡山県の僻地で生まれたものの、東京の美術学校に学び、京都で芸術活動をはじめた重森三玲は、 そういう京都で多くの庭に触発されるにとどまらず、 あらためて日本の庭の原点を学ぼうと日本各地の古典的な庭を訪ね歩くことにした。
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