尊勝院 洛東粟田
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元三大師(がんざんだいし)を御本尊とする尊勝院の歴史は、保延年間(1135-40)に、陽範(ようはん)阿闍梨を開祖として、比叡山の横川に「尊勝坊」を草創したことに始まります。陽範阿闍梨は横川般若谷に祀られていた元三大師の宝前で修法祈念し霊験を得たことにより、法皇から「尊勝」の号を賜ったとされます。
 正和年間(1312-16)に御本尊は洛東粟田口に遷座されました。青蓮院の三條白川坊の裏築地あたりに本堂が建立されたことから「裏築地御殿」と呼ばれ、代々の住職は脇門跡般若院(般若三味院)も受け継いできたことから「裏築地門跡」とも称されました。草創以来、勅願所として歴代皇室の篤い御崇信を得てまいりましたので、代々の住職は青蓮院宮の院家筆頭として門室執事も務めました。
 応仁の乱(1467-77)によって焼失した本堂は、文祿年間(1592-95)に豊臣秀吉によって再建されました。天明8年(1788)の大火で皇居が炎上した折には、後桜町上皇が青蓮院を仮御所となさったので、青蓮院の宮尊真親王は尊勝院に入られ、当院は門室代としての役割も担いました。
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尊勝寺の歴代住職は日野家の子息が出家して受け継いできました。そのご縁から、日野家氏寺の法界寺(京都市伏見区日野)の別当職を務めてまいりました。
  ことに多賀大社との関わりは深く、江戸幕府が開かれて間もない慶長12年(1607)には、時の住職・慈性大僧正が徳川家康公の台命を受けて多賀大社の別当職となり、別当寺不動院も兼務し、徳川幕府の外護のもとに多賀大社の復興造営を実施しました。以来、明治維新に至るまで代々住職が別当院を兼帯してまいりました。このほか八坂の祇園社や愛宕社など、多くの社寺の別当職も兼務し、青蓮院との深い関わりのなかで、尊勝院は名実ともに重要な役割を担ってまいりました。
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