楽しくない体

事故で半身不随になった男の決意と消えぬ夢
  • 近藤敏明 著
  • 発行 京都通信社
  • 装丁 納富進
  • B6版 256ページ
  • 定価 2,200円(税込)
  • 2023年6月23日 発行

「楽しくなければ人生じゃない」
「楽しくなければ人生じゃない」をポリシィーに生きてきた近藤は、「将来を見据えて行動するしかない」と決意して厳しいリハビリに立ち向かう。医師が止めても挑戦を止めない。リハビリのために、山形から名古屋に転院し、可能性を求めてさらにアメリカにまで出かける。もがき・あがいての日々であり、挑戦である。その荒む心を紛らわせてくれたのは、お酒だった。


人生の第二ステージ
健常者としての42年間を人生の第一ステージとするなら、車いすの経営者は第二のステージをリハビリとビジネスに求めた。自ら起業した「株式会社 建装」は、近藤の検証東日本大震災にも見舞われるなかで、安全で快適な暮らしを提供する家とはどのようなものかを検証する機会となった。障碍者や高齢者が居心地よく過ごせる家づくりに、障碍者としての自らの生活体験から工夫とアイデアを絞りだした。そのための勉強と研修にお金を惜しまなかった。つねに、前を向いて生きていたかった。「チーム棟梁」の気球も手に入れた。後悔の心は捨てていた。


障碍者福祉が仕事の第三ステージ
長男に家督を譲ったいまは、設立した「共同組合 生活住環境整備山形」は、患者・病院・行政を結ぶ懸け橋である。介護の質の向上をめざしてNPO法人も設立した。社会に責任をもつ行動をと願って、地域社会との連携と交流を意識して日本一小さな村 ゼロポイント・フィールドの施設も建設した。波乱の大きな人生である。

もくじ

  • はじめに

  • 第一章  人生の転機──一瞬にして障碍者になる

    • 熱気球事故/宮城県の事故現場から山形の病院へ

  • 第二章  人生の第一ステージ

    • 親の期待どおりの生いたちと気概/尊敬する親父に弟子入り/
      妻 いく子との結婚/父親の死と独りだち
  • 第三章  熱気球との出会い 

    • 心を鷲掴みにした熱気球/「山形熱気球クラブ・遊翔隊」
  • 第四章  第二ステージにむけての助走

    • 入院生活はリハビリとの闘い/リハビリの目的と目標/
      病院でのリハビリと生きる目標/個人的リハビリ/
      精神的リハビリと居酒屋と美術館/見舞客の励まし/新しい展望
  • 第五章  新たな挑戦に備えて名古屋で体力を強化

    • 若井クリニックに転院/名古屋での入院生活
  • 第六章  アメリカでのリハビリの日々

    • ピアーズ・プログラムとの出会い/アメリカで知った別の世界/
      ピアーズ・プログラムの精神と考え方/恵まれたホテルの立地/
      日本からの見舞客と下見客
  • 第七章  アメリカの障碍者事情

    • 長距離旅行とラスベガス/アメリカの車いす事情/
      ドジャース野球観戦/ 「ビザの期限切れにつき再入国不可」事件/いざ帰国の途に
  • こらむ  友として、仲間として近藤さんにエールを送る

    • 板垣 典和/原田 憲一/橋爪 雅幸/大場 健司/森田 盛行/松田 武久/守 一彦
  • 第八章  第二ステージを「生きる」

    • 三つの目的を決める/社会にどう貢献し、ぼくを輝かせるか/
      熱気球でふたたび大空に/内なる心を変えた第二ステージ/
      東北地方太平洋沖地震の教訓
  • 第九章  第三ステージに繋ぐ

    • 「協同組合 生活住環境整備山形」を設立/
      「エール事業協同組合」に改名/第三ステージに託す夢
  • おわりに  人生の危機とぼくの脱出作戦

  • あとがき

著者 近藤 敏明(こんどう・としあき)の紹介
1950年、山形県山形市に生まれる。18歳で大工見習として父親に師事。26歳で棟梁、1982年には3代つづいた自営業を「株式会社建装」に改組し、代表取締役に就任。1993年、熱気球事故で重度の障碍者となるが、アメリカでのリハビリなどを経て現役復帰。障碍者の視点で、暮らしの環境づくりを提案する講演会やワークショップを開催。98年、本業の建築と障碍者に快適な住空間の創造をとおして障碍者を支援する組合を立ち上げ、理事長就任。2006年、福祉事業社を調査するNPOを共同で立ちあげ、副理事長に就任。2011年の東日本大震災後は、住宅事業に専念する。2021年にM&Aで自社を譲るも、組合やNPO法人を通じて現在も障碍者の社会参加を支援している。