シリーズ 人と風と景と

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景はともかく、風は捉えどころがない。頬にあたってようやく、あるいは木の葉を揺らし、煙をたなびかせて、はじめてその存在を感じる。透き通っていて、向こうのものを遮ったり邪魔したりすることもない。自在に形を変えて、なにかあればスルリと抜け逃げる。それが風流や風情というものだろう。とはいえ、これを欠くとたいていのものは窒息する。なんとも面倒な存在だ。しかも、そういう風と景には、人の意志や意思が介在している。日本の自然は野生ではない。そんな人の働きかけや感性に温かい視線を送ってみようというのが、このシリーズである。

京都通信社を代表して 中村基衞

吉村元男の景といのちの詩

シリーズ 人と風と景と
吉村元男の「景」と「いのちの詩」

  • 写真・文 吉村元男
  • 発行 京都通信社
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  • A5変判 84ページ
  • 定価 1,512円(1,400円+税)

本書に登場する四つの作品に従事できたことは、風景造園家としてきわめて僥倖な機会に恵まれたからでした。これらの作品が今日までも美しく、いのちの輝きを増しながら、ほぼ設計当時の趣意が保たれ、維持管理され、着実に成熟していることに、それらを訪れるたびに感激し、それらのいのちに感謝の念を禁じえないでいます。

庭園は生命の集合体でできた風景で、人間の赤ちゃんと同じ出発点から始まります。その生命の集合体は、草花、樹木、昆虫、鳥、魚、そして土の中の計りしれない数のバクテリアなどのいのちが互いに絡みあって、一つのたくましい調和のリズムを生み出し、成長してゆくのです。その軌跡は、数多くの人びとの知恵と技と情熱によって導かれたものです。庭園が幾多の風月をへて俗の垢を吸い取り、浄化する力をもって成長してゆくことは、それ自体がいのちの奇跡です。万博記念公園の40年を超える奇跡に歓喜の涙が溢れます。

風景は時代とともに移り変わります。千里丘陵の300ヘクタールの田園・竹林を破壊して開催された1970年の日本万国博覧会の多くのパビリオンは、半年の寿命で破壊されました。その跡地に博覧会開催を記念する公園が誕生しました。自然破壊、パビリオン建設と破壊、そして万博記念公園の自然再生。丹下健三氏の「お祭り広場」の大屋根が取り払われ、岡本太郎氏の「太陽の塔」が残され、その間に万博の森がすくすく育ってきました。万博記念公園は、二度の破壊への鎮魂の風景です。

吉村元男 「奇跡と歓喜の庭園づくり」から抜粋詳細はこちらから

「百人百景」京都市岡崎

シリーズ 人と風と景と
「百人百景」京都市岡崎

  • 村松 伸 + 京都・岡崎「百人百景」
    実行委員会 編
  • 発行 京都通信社
  • B5変判 96ページ
  • 定価 1,728円(1,600円+税)
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2012年3月4日、私たちは京都市岡崎地区で2人のプロカメラマンと、134人のアマチュアカメラマンが、各人27枚の写真を使い捨てカメラで撮影するイベントを開催した。このとき撮影した3,600枚を超えるまちの写真の一部を解説・解析しているのがこの本である。

京都の東側の岡崎の地ではかつて、武家の邸宅や仏殿や塔が建ち並んでいた。やがて荒廃して田畑となるが、19世紀末にふたたび勃興する。琵琶湖から運河が引かれ、平安神宮が造られ、動物園が開園した。明治の元勲や商人が名園を営み、やがて美術館や博物館が林立する異空間となった。

水、緑、公共建築、小さな祠、コミュニティ、町家、洒落たレストラン等々が拡がる現在のこの場所に、136人が小雨の降るなかでカメラを携えて半日を費やした。2キロ×1キロの限られた範囲であっても、その視線も、歩くルートも、人それぞれだった。江戸の富士山のような名所はないが、京都を取り巻く山々は136人を見守ってい る。由緒ある京の寺社仏閣も所狭しと並んでいる。

写っているのは、目に見えるものだけではない。春の兆し、記憶、虚無感、幸せ、そういう岡崎の日常と非日常の一切合切が、カメラですくい取られて写真となった。この3,600枚は、千年の東アジアの視線の末裔であるだけではない。これから訪れる千年後のサステナブルなまちの未来を構想する手立てともなる。地球環境と都市を研究する主催者の私は、27枚のすべての写真のなかで逆立ちしながら、そう考えた。

村松 伸 「千年の伝統の視線で、千年後の京都を構想する」から抜粋詳細はこちらから